古代 尾張(葉栗郡・愛智郡・知多郡)に於ける 式内社についての覚書  

                                 1、葉栗郡に於ける式内社
                  旧 葉栗郡域は、東は丹羽郡、南は中嶋郡、北は美濃国、西は木曽川に囲まれていた。天正14
                 (1586)年の木曽川大洪水により、木曽川の流れが変わり、一部は、岐阜県域となり、現 羽島市と
                 羽島郡の一部が、それで、旧 葉栗郡であった所であるという。
                  この郡域内の式内社は、10社を数えると言う。

                ・ 穴太部神社
                   所在地は、不明。穴太部(穴穂部)は、雄略天皇が、前天皇(安康天皇)の名を後々まで残さんが
                  為に設けた部民であるという。とすれば、この地に穴太部の部民が居住したとも考えられよう。

                   尾張志では、「既に廃社となり、今はその旧地を知る人なし。」と記されているが、祭神は、孔王(あ
                  なほ)ノ首の始祖、穴穂部氏の祖神、安康天皇とも、多奈波太姫命とも伝えられているが、定かでは
                  ないという。

                ・ 阿遅加(あちか)神社
                   所在地は、岐阜県羽島市足近町、祭神は、日本武尊。尊の御子 稚武彦王が、伊吹山への途中
                  父が、この地で休まれた縁で、この地に神社を造られたという謂れがあるという。

                   拝殿と本殿の間は5m、高低差も5mであり、この地は、輪中地域であり、水禍を蒙らないように、
                  本殿は、弱冠高く造営されたという。境内が狭いようであるが、神仏習合の頃、神宮寺の住職が、あ
                  ろうことか、数百坪の土地を売ってしまった事が、狭くなった由であるという。しかし、西側には、神田
                  百二十坪分を擁しているようであります。

                ・ 若栗神社
                   所在地は、一宮市大字島村字南裏山、祭神は、天押帯日子命(あめのおしたらしひこのみこと)で
                  孝昭天皇(5代)は、、尾張連の遠祖の娘を妃にし、天押帯日子命を産ませられたという。弟に皇位
                  を譲り、命は、この地に移住、開拓されたという。

                   命の後裔には、羽栗臣(尾張国葉栗郡)、知多臣(尾張国知多郡)が、古事記には散見するという。

                ・ 黒田神社
                   所在地は、葉栗郡木曽川町大字黒田、祭神は、瀬織津比め命(せおりつひめのみこと)、淀比め命
                  (よどひめのみこと)。現在は、籠守勝手(こもりかって)神社と改称しているとか。

                ・ 大野神社
                   所在地は、一宮市浅井町大野、祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、水に関わる神様でありま
                  しょうか。旧社地は、現社より南の方であり、その近くには、水神を祀る小祠があるという。

                ・ 石作神社
                   所在地は、岐阜県羽島郡岐南町三宅、祭神は、建真利根命(たてまりねのみこと)。創建は、由緒に
                  よれば、承和6(839)年とか。この祭神は、天火明命を祖とする尾張氏系の石作連の一族が、居住し
                  て、氏神として祀ったのでありましょう。石棺作りの氏族ではあった。

                ・ 宇夫須那神社
                   諸説あり、現在は2社あるという。一つは、一宮市大字島村、もう一つは、葉栗郡木曽川町大字黒田。
                  どちらにせよ、尾張氏と関わりのある神社かと。

                ・ 川島神社
                   所在地は、江南市大字宮田、祭神は、水波売神。
                   尾張国風土記逸文に、「葉栗の郡。川嶋の社(河沼郡の川嶋にあり。)聖武天皇の御世、凡海部(おほ
                  あまべ)の忍人(おしひと)申す。この神、白鹿に化け、時々現れると。詔ありて、天社(あまつやしろ)とな
                  す。」とあり、凡海連は、火明命の後(すえ)なり。それ故、この当社は、尾張氏の一族が祀った氏神では
                  なかろうか。

                 ・ 伊富利部(いふりへ)神社
                    所在地は、葉栗郡木曽川町大字門間、祭神は、若都保命(わかつほのみこと)、誉田別尊。
                    若都保命は、天火明命の9代孫の弟で、尾張氏の一族であり、伊副部氏の祖でもあるとい
                   う。

                    この伊副部氏は、改新の折、武器の調達をし、宮城の門を警備していたのであろうか。宮近
                   くの、ふいごで作るたたら製鉄の武器や工具を作る職であったのではないかと、宮の南の金く
                   そという地名があり、そこから大量の金属のくずがみつかっているということでも有名であるとい
                   う。

                 ・ 大毛神社
                    所在地は、一宮市大毛字五百入塚、祭神は、大御食都姫命(おほみけつひめのみこと)。この
                   祭神は、いざなみ、いざなぎの御子であるという。この社の相殿の神は、五百木之入日売命(い
                  ほきのいりひめのみこと)と言い、景行天皇と妃 尾張大海媛との間に産まれし、第八番目の御子
                  は、五百城入姫皇女(いほきいりひめのみこ)と申すと。ここにも、何やら尾張氏と朝廷との間に深
                  い繋がりをみる思いがいたします。

                  < 葉栗郡に於ける式内社から推察できる事 >
                    式内社は、10社。内 5社は、尾張氏と何らかの関わりのある神社であった。また、大和朝廷
                   と繋がりの深い神社は、3社あり、この地方も尾張氏により、朝廷の勢力圏に入っていたようです。

                                    2.愛智郡の式内社
                    愛智郡は、東は、三河国に接し、西は、庄内川を境に旧 海部郡に接し、南は、太田川や天白
                   川を境に旧 知多郡に接し、北は、旧山田郡に接する地域であり、式内社 17社のほとんどは沖
                   積低地に鎮座している。そこは、主に庄内川以東の低地であり、現存はしていないが精進川流域
                   の低地、天白川流域の低地でありました。熱田神宮のある辺りは、10の式内社が集中し、熱田は
                   愛智郡の本拠であったと推測されます。

                  ・ 熱田神社
                     所在地は、名古屋市熱田区神宮1丁目、祭神は、熱田大神。創建は、景行天皇御世末から成
                    務天皇の始め頃かと。草薙の剣を祭祀したという。

                  ・ 八剣神社
                     所在地は、熱田神宮境内、祭神は、熱田神宮と同じ。この社は、熱田神社の別宮という扱いであ
                    るという。

                  ・ 日割御子(ひさきのみこ)神社
                     所在地は、熱田神宮境内、この社の祭神は、天照大神の御子 天忍穂耳尊(あめのおしほみみ
                    のみこと)であり、創建は、孝安天皇の御世と伝えられると言う。

                  ・ 孫若御子(ひこわかみこ)神社
                     所在地は、熱田神宮境内、祭神は、天火明命(天忍穂耳尊の御子)。尾張氏と同族関係の氏族は、
                    姓氏録によれば、四十余の氏族が数えられると言う。

                  ・ 御田(みた)神社
                     所在地は、熱田神宮境内、祭神は、大年神(五穀豊穣の守護神)。

                  ・ 上知我麻(かむつちかま)神社
                    所在地は、熱田神宮境内、祭神は、乎止与命(おとよのみこと)で、この神は、尾張国初代国造という。
                    旧社地は、神宮の南 熱田区市場町であったようで、市の都市計画の為、現社地に遷座されたとか。

                  ・ 下知我麻(しもちがま)神社
                     所在地は、熱田神宮境内、祭神は、乎止与命の妃 真敷刀婢命(ましきとべのみこと)であり、この真
                    敷は、間敷であると伝えられている。確かに、中島郡平和町に三宅という地名があり、この地に、屯倉社
                    (とんそうしゃ)なる神社が遷座されておりますので、あながち間敷屯倉は、この辺りにあったのではと推
                    察できるのでは・・・。

                  ・ 高座結御子(たかくらのむすびみこ)神社
                     所在地は、名古屋市熱田区高蔵町、祭神は、高倉下命(たかくらじのみこと)。この神は、尾張氏の遠
                    祖であり、ニギハヤヒの御子 天香語山命の後裔に当たるとか。

                  ・ 火上姉子(ほのかみあねこ)神社
                     所在地は、名古屋市緑区大高町氷上山(ひかみやま)、祭神は、宮す媛命(乎止与命の子で、建稲種
                    命の妹にあたるとか。)

                  ・ 青衾(あおふすま)神社
                     所在地は、名古屋市熱田区白鳥2丁目、祭神は、天道日女命(あまのみちひめのみこと、天火明命の
                    妃という。)

                  ・ 日置(ひをき)神社
                     所在地は、名古屋市中区橘1丁目、祭神は、天太玉命(別名天櫛玉命)であり、日置部と関わりがある
                    という。

                     その当時、日置部は、暦と占いを司る氏族とか、神の浄火を司る氏族、戸籍と税務を司る氏族というよ
                    な職種を司っていたと言われる。それ故、朝廷から各地方へ日置部は、派遣され設置されていたのでは
                    ないかと。

                  ・ 高牟(たかむ)神社
                     所在地は、名古屋市千種区元古井町、この社は、物部氏の武器や農機具を納めた庫が神社になった
                    という言い伝えがあり、物部郷とも言われた地域であり、ここを拠点として味ま、白山に進出し、勝川近く
                    の二子山古墳は、この物部氏に関わる古墳ではないかと考えられるという。

                  ・ 川原(かはら)神社
                     所在地は、名古屋市昭和区川名本町、祭神は、日の神、水の神、土の神であり、五穀豊穣を祈って、
                    当社を祭祀したのであろう。

                  ・ 針名神社
                     所在地は、名古屋市天白区天白町平針、祭神は、尾治針名根連命(おわりはりなねのむらじのみこと)
                    で、この神は、尾張氏の始祖 天火明命の14世孫と記され、尾綱根命の子、建稲種命の孫で、乎止与
                    命の曾孫にあたるという。

                     この神社の旧社地は、元郷と言い、当社より北西へ800mの所であり、今は、郷の島とも言われ、昔は
                    平子山と呼ばれし所であったとか。

                  ・ 伊副神社
                     所在は、明らかではない。富士浅間神社がそれに当たるのではないかとされる。東郷町にある祐福寺の
                    奥の院とされていた神社であります。

                  ・ 成海(なるみ)神社
                     所在地は、名古屋市緑区鳴海町乙子山、創建は、朱鳥元(686)年であるという。この地の海岸を年魚
                    市潟(あゆちがた)と言いしが、天暦以降は、鳴海潟と呼ぶようになったという。

                  ・ 物部神社 
                     所在地は、名古屋市東区筒井3丁目、祭神は、宇摩志麻遅命。この神は、天火明命とは、おじにあたる
                    という。

                  < 愛智郡の式内社から推測できる事 >
                      愛智郡内の式内社 17社中 9社が、尾張氏と何らかの繋がりがある神社であった。残り2社は、物
                     部氏系の社であり、あとは、大和朝廷に直接繋がる皇室関係者か、部民の神社が1社。自然の神を祀る
                     神社が2社。残りは、不明。以上に分類できるかと。

                      これにより、愛智郡内は、尾張氏の支配下であった事が、顕著でありましょう。只、最初から尾張氏が、
                     愛智郡内に進出していたかは、詳らかではない。また、どの進路にて移住してきたかも、海からなのか、
                     陸からなのかは、式内社の検討だけでははっきりしないと言える。只、海路は、大型の船で航行できても、
                     川の上流域へは、くり船のような小型で、底の浅い船でなければ航行は出来かねたのではないかと推察し
                     ます。事実、地中より、くり船が、発掘された所もありましたから。

                      大胆な推測で言えば、物部氏は、海から内陸部へ、尾張氏は、陸路からであろうか。また、尾張氏と物
                     部氏は、祖は、同祖であり、おじ、おいの関係ではないかと推察いたします。(あくまで、日本書紀の記述
                     に従えばですが・・・。)

                3.知多郡の式内社
                   知多郡は、知多半島を郡域としており、式内社は、3社のみ。また、これらの神社は、ほとんどが半島の小平
                  野にあたる所に祀られているという。そして、この半島には、知多臣という尾張連と繋がりがある有力な氏族が
                 いたようですが、その本拠は詳らかではないという。

                 ・ 入見(いるみ)神社
                    所在地は、知多郡南知多町内海、祭神は、八つの神であるとか。旧社地は、社宝の棟札によれば、「古くは
                   此森山(このもりやま)であり、その後、祭八神山へ遷座。後中之郷村へ遷座。」とめまぐるしく移り住んでいる
                   ようであります。

                    現社の北北西800mの所には、縄文早期の先苅(ますかり)貝塚があり、丁度旧社地の辺りに相当するとい
                   う。
                    また、この辺りの当時の水田耕作は、川の上流域から下流域に下がる傾向にあるという。条里制の遺構が
                   下流域より色濃く残っているという事から推測されるという。

                 ・ 阿久比(あくひ)神社
                    所在地は、知多郡阿久比町、祭神は、アグイの神であろう。そして、英比丸命ではないかと。
                    英比丸命は、菅原道実の後裔で、この社から1Km程の所にある坂部から出た人と言われ、久松家の祖先
                   であると言われております。更に、菅原道実は、尾張連の野見宿禰の血を継ぐという。
                 
                    また、知多臣は、尾張連から出た孝昭天皇の妃の後裔であるという事から、この阿久比神社のある辺りは、
                   知多臣の本陣ではなかろうかと推測いたします。さらに、この辺り500m内外には、弥生後期の住居や古墳
                   (円墳)が十ヶ所程確認されているというのもその考えを後押しする事柄ではありましょう。

                 ・ 羽豆(はづ)神社
                    所在地は、知多郡南知多町師崎明神山、祭神は、建稲種命(たけいなだねのみこと)であるという。
                    それ以上の事は、詳らかではないようです。

                  < 知多郡の式内社から推察できる事 >
                     式内社が、3社しかありませんから、推察するにはおこがましいのですが、2社が、尾張氏に関わる神社
                    かと。知多臣の本拠を阿久比辺りに類推する事もできましょうか。また、この阿久比の港は、物資輸送の
                    中継地となっていたのでありましょう。また、羽豆神社のある岬の港も天然の寄港地でもあったとか。
                     海上輸送の中継基地の役割を古代には、果たしていたとも言えるのではないでしょうか。